出典: 事件はラブホで起きている
今後の方針や調査を進めるうえで把握しておくべき情報などの聴取がひととおり終わったあと、イナミさんがホットコーヒーを飲みながら、僕の目ではなくテーブルの上にあるトレーをぼんやり眺めながら言った。
「私の父が、最近亡くなったんです。ガンでした。病気が発覚したのが7月ごろで、ちょうど私が旦那に職場の女と会うのはやめてほしいとお願いをした直後でした。父の急な入院などで私が忙しくなってしまい、自然と職場の女のことについての追及をしている余裕なんてなくなりました。そのことに旦那は安心したようで、私が父のお見舞いに行ってるまさにそのチャンスとばかりに、職場の女と頻繁に会っていたようです。そんな夫婦の問題を相談できるような相手もおらず、たまらず病床の父に悩みを吐き出してしまいました。それを聞いた父は「わかった、私から〇〇君(旦那)に話をしてやるよ」と言ってくれて、次に旦那と一緒にお見舞いに行った際に、父が旦那とふたりきりになるタイミングで「〇〇君、夫婦の問題に義理の父親が口を挟むべきじゃないことは重々承知の上での願いなんだが、どうか娘と膝を突き合わせて話をしてあげてほしい。最後のお願いだから」と、話を持ち掛けてくれたのを父から聞きました。ですが、旦那が私と真摯に向き合ってくれることはないまま、父は亡くなりました」
旦那はイナミさんの父の葬儀中にも職場の女に対して「今すぐここから抜け出して君に会いたい。早く夜になって電話がしたいよ」などとLINEしていたという。
「悔しくて、情けなくて……調査に関係ないこと話しちゃって、すみません……ずっと誰にも言えなくて……」
イナミさんはボロボロと涙を流した……圧倒的な人間ドラマを目にしたその瞬間、僕は何が何でも証拠を撮ることをイナミさんと彼女の亡きお父様に誓った。
調査初日、夕方から対象者の会社で張り込みをする。
定時を少し過ぎたころに、対象者である旦那がひとりで会社から出てきた。旦那を尾行していくと会社の路地裏で、先に退勤していた同僚女性と合流した。
くど会社近くの居酒屋へと接触した事実をイナミさんにLINEで報告すると、すぐに返信があった。
「うわー!……吐きそう……」
その後、ふたりは会社の最寄り駅付近の路上で小一時間、ずっと立ち話をしていた。その様子を見るかぎり、同僚以上の関係ではあるものの、まだ肉体関係には発展していない印象を受けた。ふたりが別れたあとは女性を追う。
彼女はつくばエクスプレスに乗り、とある駅で降車した。コンビニでレモンサワーとゆで卵を買って、やや新しめの木造アパートへと帰宅。
ちなみにチーム小沢では浮気調査中に、不倫相手にアダ名ををつけることがたまにある。僕らはこの日から、相手の女性を「ゆで卵の女」と呼ぶようになった。もちろん、イナミさんも公認である。